「校則をなくした中学校」と「みんなの学校」そしてインクルージョンへ
前回ブラック校則について考え始め、『校則をなくした中学校』を読んだ。
校則をなくした中学校
そこから分かったことは「みんなが居心地の良い学校には校則はいらない」ということ。
校則をなくした中学校の校長、西郷孝彦校長は特別支援学校を経験している。
支援学校ではひとりひとりの特性に応じてプログラムが組まれる。
この経験を生かして、ひとりひとりに寄り添っていった結果、校則はなくなったのだ。
もちろんこのような学校にするのには教員の理解と忍耐、そして一定の時間が必要だ。
この学校と共通する理念を持った学校が小学校にある。
それが「みんなの学校」こと大阪市の大空小学校だ。
みんなの学校
「みんなの学校」はドキュメンタリー映画で、2015年に公開されている。
みんなの学校に関してはいくつか書籍が出ている。
私が参考にしたのは以下の2冊。
ここから見えてきたのはやはり、「ひとりひとりに寄り添う」ということ。
これを丁寧にしていくことは大人にとってとても骨の折れることだ。
しかし、こうすることで子どもひとりひとりが自己肯定感を持ち、のびのびと育っていく。
みんなの学校では発達障害や知的障害のある児童も一緒に学ぶ。
一緒に学ぶことで、人は多様であること、それを認めてそれぞれのやり方で学んでいることを理解し、学び合う。
それは大人も子どももだ。
教員はもちろん、地域の人たちにも一緒に学んでもらう。
このように、さまざまなひとが一緒に学ぶ教育をインクルーシブ教育という。
インクルーシブ教育
上の二つの学校に共通するのがインクルーシブであるということ。
2006年国連で「障がい者の人権に関する条約」が採択された。
2014年、日本もようやく批准し、障がい者差別禁止法などが制定されるなど、徐々に法整備が進んでいる。
学習指導要領でも、学びにくさを感じる児童に対する「合理的配慮」を必ずしなくてはならないと明記されるようになった。
「障がい者の人権に関する条約」第24条では
1 締約国は、教育についての障がい者の権利を認める。締約国は、この権利を差別なしに、かつ、機会均等を基礎として実現するため、障がい者を包容するあらゆる段階の教育制度及び生涯教育を確保する。*1
とある。
太字にした、「包容する」という言葉がインクルージョンである。
インクルーシブであること
インクルーシブ教育は今のまますぐには無理である。
「校則のない中学校」では子どもたちのでこぼこを吸収できるような仕掛けが必要と述べている。
そしてそれをパソコンでいうところのOS(MacやWindows)に例え、授業をソフト、アプリと位置付け、ソフトやアプリを起動させるために必要なOSを学校環境としている。
そして学校環境で必要なものを4つあげている。
- 多様性との受容と尊重
- 愛情を持って子どもに接する
- 生徒ひとりひとりを大切にする
- 子どもと共に生きる
「みんなの学校」大空学校の校長木村泰子は「子ども」を主語にした教育を、と繰り返し述べている。
さらに、
特性のある子の周りを育てれば育てるほど、特性があったり、課題があったりする子は、安心してありのままの自分を出すことができるようになる。(中略)「その子の周りが育つ」イコール「すべての子が育つ」ということなのです。「子どもは、子ども同士の関係性の中で育つ」のです。子ども同士の関係性を分断して、大人が自分の力をどれだけ誇示しても、「子ども同士が学び合う環境」以上の環境を大人はつくれない。*2
と述べている。
大人はジャッジをするのではなく、コーディネイト、通訳をすれば良いとも述べている。
大人も完璧な人はいないし、ひとりひとり考え方も違う。
様々な大人に接して、自分で考えることで育っていくという考え方である。
これからこのような社会を実現するためにどちらも大切な理念である。
このような学校や社会を実現するためには効率重視ではできない。
しかし、この非効率的である社会が今求められているのである。
【大人も子どもも】【障がいのあるなしにかかわらず】共に学び合うことが当たり前の社会は居心地の良い社会であることをこの二つの学校が証明してくれている。