未来のコンパス

教育、環境問題についての思いや学びについて綴ります。

オーウェル『1984年』は今

1984年』 

以前書いた記事を読み返していて、今これだなぁ、と思ったことがありました。

フレイレの『被抑圧者の教育学』を読んだ時の感想です。

saho-tamura.hatenablog.com

この中では、新しい知識を「詰め込む」ことで思考停止に陥ると書かれていました。

そのことを思い出させることがいくつか重なりました。

 最近、オーウェルの『1984年』を読み、やはり今の社会は危ないと思いました。 

一九八四年〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

一九八四年〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

 

 例えばコロナ対策でもそうです。

新しい言葉には注意

小池百合子都知事は最近またもや新しい言葉を発しています。

「ゲームチェンジャー」。

言いたいことはわかります。

しかし、ここでカタカナ言葉にする意味はあるのでしょうか。

局面を変えるためにがんばってほしい、ということではいけないのでしょうか。

「人流」。

分析の中では使われる言葉かもしれません。

でも一般的にはどうでしょう。

人の流れ、ではいけないのでしょうか。

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こう考えてみるだけでも、言葉の意味を考えることは重要です。

自分の生活を振りかえることにつながります。

ところが新しい言葉をそのまま流すTVからは「考えずに従え」と聞こえてきます。

教育でも同じ

1984年』では、ニュースピークという新言語体系を作っています。

それをもって、人々を思考停止に陥らせていくさまを描いています。

わたしたちはこのことから、言葉が思考を司る大切なツールであることを認識します。

考えを言語化できないことが、思考をまとめ、深めることを阻んでしまうのです。

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教育にもSociety5.0やアクティブラーニング、ICTなど新しい言葉が入り込んでいます。

それは現場や教育研究者たちでどのように議論されたのかは、よくわかっていません。

とにかくやるように言われ、それを入れなくてはならないと現場は混乱しています。

これは全く思考停止の状態と言っても良いのではないでしょうか。

やりかたについて議論はあります。

しかし、その善し悪しについては全くといって良いほど議論はないのです。