オーウェル『1984年』は今
『1984年』
以前書いた記事を読み返していて、今これだなぁ、と思ったことがありました。
フレイレの『被抑圧者の教育学』を読んだ時の感想です。
この中では、新しい知識を「詰め込む」ことで思考停止に陥ると書かれていました。
そのことを思い出させることがいくつか重なりました。
最近、オーウェルの『1984年』を読み、やはり今の社会は危ないと思いました。
例えばコロナ対策でもそうです。
新しい言葉には注意
「ゲームチェンジャー」。
言いたいことはわかります。
しかし、ここでカタカナ言葉にする意味はあるのでしょうか。
局面を変えるためにがんばってほしい、ということではいけないのでしょうか。
「人流」。
分析の中では使われる言葉かもしれません。
でも一般的にはどうでしょう。
人の流れ、ではいけないのでしょうか。
こう考えてみるだけでも、言葉の意味を考えることは重要です。
自分の生活を振りかえることにつながります。
ところが新しい言葉をそのまま流すTVからは「考えずに従え」と聞こえてきます。
教育でも同じ
『1984年』では、ニュースピークという新言語体系を作っています。
それをもって、人々を思考停止に陥らせていくさまを描いています。
わたしたちはこのことから、言葉が思考を司る大切なツールであることを認識します。
考えを言語化できないことが、思考をまとめ、深めることを阻んでしまうのです。
教育にもSociety5.0やアクティブラーニング、ICTなど新しい言葉が入り込んでいます。
それは現場や教育研究者たちでどのように議論されたのかは、よくわかっていません。
とにかくやるように言われ、それを入れなくてはならないと現場は混乱しています。
これは全く思考停止の状態と言っても良いのではないでしょうか。
やりかたについて議論はあります。
しかし、その善し悪しについては全くといって良いほど議論はないのです。