未来のコンパス

教育、環境問題についての思いや学びについて綴ります。

息苦しい社会の理由・新自由主義。解決策は教育にある?後編

前回、新自由主義による国民の分断が社会を息苦しくしていることを述べた。

 

今回はフレイレの著書『被抑圧者の教育学』を元に、解決への道を探っていきたい。

被抑圧者の教育学――50周年記念版

被抑圧者の教育学――50周年記念版

 

 

 

銀行型教育と問題解決型学習

 フレイレ銀行型教育を「抑圧のツール」であると断じている。

知識偏重型の教育では教師は一方的に生徒に知識を注ぎ込む。

そこでは生徒と気持ちを通わせることなく、生徒はただものを入れる入れ物であり、教師はものを入れる人である。

この銀行型教育では「知識」は持っているものから持っていないものへと与えられるものである。

だから、生徒は自分が無知であると信じて、知識を詰め込めば詰め込むほど生徒は知識を与えるものに従順になっていく

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つまり創造的な力はダメにされ、従順になる。

社会問題に対しても異議、または疑義を挟む余地を与えなくする危険がある。

このことをフレイレは次のように述べている。

そのような教育の目的は、実際にその教育を担っている人たちには気づかれていないかもしれないけれども、教育される側がすべての本質にかかわることを考えにくくすることにある。*1

つまり、社会を批判する力はつかないし、新たなものを生み出すときに必要な「疑問を持つ力」は養われないのである。

今行われている教育の多くがこの銀行型に陥っていないかと危惧する。

なぜなら、テストで測られ続ける「学力」は、暗記による知識の集大成に過ぎず、批判的能力や思考力は求められていないからである。

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それは今回の大学入試改革における記述式でも同様である。

与えられた枠内での解答を求めているのが、今回の入試改革で行われる予定の記述式テストの実態だ。

 

対話の必要な問題解決型学習

それに対してフレイレは解放のための教育として「問題解決型教育」を提示する。

問題解決型学習とは様々な事象を認識するための営みであると言う。

つまりこれは様々な身の回りのものに意識を向け、課題を見つけ、それを解決していこうとすることで可能になる。

そのためには教師と生徒の双方向のコミュニケーションが必要となる。

対話なくしては問題解決型学習はあり得ないのだ。

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何が課題であるのか、自分は今何を意識しているのかを突き詰めて考えていくことが必要になる。

だから教師は一方的に知識を注ぎ込むのではなく、対話を求められているのである。

ここでは、教師は生徒に乗りこえられるのである。

 

時間がかかる問題解決型学習

銀行型教育は時間はかからない。

生徒は静かに黙って座って教師がしゃべるのを聞いていればいい。

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しかし、問題解決型教育ではそうはいかない。

対話を成り立たせるには、「無知なのは常に相手のほうで、自分はすべてをわかっている、と思うような状況で」は対話は成り立たない。

知らないことを共有し、一緒に考えていくという同じ土俵の上で課題に取り組もうとする教師のあり方が求められているのである。

 

教師に時間と余裕はあるのか

2020年施行の日本の小学校学習指導要領では「対話」という言葉がキーワードの一つとなっている。

いわゆる「アクティブラーニング」では対話が求められているのである。

そこでは問いを立てる力が必要であり、課題解決に向けて対話していく時間が必要である。

教師はファシリテーターになり、子どもたちの意見を吸い上げ議論を活発にすることに力を注ぐことが求められる。

しかし、問いを立てるのには、まず疑問を探す時間が必要である。

今の子どもたちはこれが苦手な子が多い。

驚くことに、今ではたったの7歳の2年生6時間授業が入ってきている。

6時間目は子どもも疲労困憊である。

6時間目が終わるともう16時。

それから帰って宿題をして寝る。

どこに生活や社会問題に関心をむける余地があると言うのか。

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英語、プログラミング、道徳、食育等々…時数はいっぱいいっぱいで、本来このような問題解決型教育をするはずだった総合的な学習の時間は削られてしまっている

いったいどのように時間を作り出せば良いのだろうか。

教師は問題提示のためには資料を集めたり、予備調査したりする時間が必要になるだろう。

そのような時間はどこにあるのだろうか。

 教師は朝8時前から勤務し、16時までは子どもたちが確実にいて授業をしている。

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いったいいつ社会に目を向け、資料を用意し、子どもたちの関心を向けられるような教材を発掘することができるのか。

今の教育現場はパンク状態である。

このような状態では問題解決型教育とは名ばかりの誘導尋問のような「やりました」的な教育にならざるを得ないのでないかと考える。

 

最近高校生が頑張っている

 一方で問題解決型教育がうまくいくと、力を発揮すると思えることが増えている。

それは高校生達の活躍である。

大学入試改革では不備が多いとして高校生が声をあげた。

www.asahi.com

また、気候危機に関しても、高校生達がデモに参加したり、地域活性化と結びつけて学習会を開催しているというニュースも目にするようになった。

www.ktv.jp

このような動きはとても頼もしい。

ぜひ問題解決型教育を推進するために、教師にも子どもにもたっぷりの時間を確保して欲しい。

そのためには思い切った学習指導要領の内容の削除・見直し正規教員の増員が不可欠である。

*1:パウロフレイレ 三砂ちづる訳『被抑圧者の教育学 50周年記念版 亜紀書房 p144