権利が保障される時代
映画『HOKUSAI 』から
葛飾北斎。
聞いた方がほとんどでしょう。
それでも詳しく知っている方は少ないかもしれません。
わたしもそうです。
もちろん映画はフィクションです。
ですから、歴史の学習のきっかけとしては良いと思いますが鵜呑みには注意。
ここで思った以上に学習したのでシェアしたいと思い書くことにしました。
表現の自由
不自由な社会になるのはなぜでしょう。
表現の自由といえば愛知トリエンナーレの一環、表現の不自由点とその後。
ここでは冒頭から浮世絵の版元へのがさ入れから始まります。
とてもにタイムリーな内容で、これを作るには勇気がいることだと思います。
しかし、そこには表現者の切実な思いが込められているように感じました。
映画では不自由さと戦い続けている人々が描かれています。
人権が保障される時代
人権という考えは1500年代に遡ります。
ロックあたりからからさかんになってきました。
それほど新しい考え方ではないとも言えるでしょう。
もちろん、その当時の人権に女性や子ども人種差別などはありました。
しかし、その時々で問題となり続けてきました。
そしてだんだんと改善の方向に向かっていると信じていたいというのは本音です。
言いたいことを自由に言えることにリスクが伴っているのが現代社会です。
やりたいことを自由にやれることも、難しくなってきています。
自由は権利
歴史をひもとくと、ガリレオは教会と対立。
地動説を取り下げることになりました。
ルターはカトリックの教義に不満を感じ、95箇条の論題を提示しました。
その結果、身を隠す必要性が生じました。
ワルトブルグ城の狭い一室にかくまわれる生活を送りました。
信仰と科学
権威は人を操作したがる傾向にあります。
そのためには極端になると焚書坑儒がおこることもあります。
近くはナチスドイツに見られたものでしょうか。
権威を持つ側はそれを貶めようとするものに脅威を感じます。
そしてそれを弾圧するようになったら危険だと思って良いかもしれないと思います。
そこで、重要になってくるのは表現の自由と学問の自由です。
それが保障されて世の中の進歩が保障されると思います。
ぜひ映画を見て簡単にその様子を感じて欲しいと思います。
自由に批判できる環境であることは健全さを保たせます。