学習権という概念
不登校増加傾向
不登校が増えていると新聞で読みました
コロナの影響もあると考えられるとのことです
それだけでしょうか
コロナ禍で家にいてもなんとかなる
家で学習することもできるとわかったから
そんなこともあるのではないでしょうか
もちろん学校へ行きたいのに行けないで
苦しんでいる子どもたちもいるでしょうけれど
コンドルセからの子どもの人権
人権の観点から学習する権利あると言われます
これは国連の児童の権利条約にもあります
憲法にもあります
学習する権利という考え方
これが現れたのはフランス革命より少し前です
子どもも「人」として認める考えからです
「子ども」の発見はルソーによります
それまでは子どもは未熟な大人として
人権をもっていませんでした
コンドルセの案では学習権が入っていました
しかし革命の最中、憲法案は二転三転
結局、学習権は入れられずに終わりました
明治時代の学制
さて、日本ではどうでしょうか
まずは明治時代
国民の義務として義務教育が始まります
この義務は教育を受けなくてはならない義務
富国強兵の一環でした
天皇を守る強い臣民を作るためのものでした
ですから権利としての学習ではありません
学習権はいつからか
大正時代には自由民主主義の声が高まります
それとともに新教育への取り組みが花開きます
しかし、公教育では排斥されてしまいました
新教育というものは、個性を大切にします
全体主義的政策をとる明治政府とは反対でした
ですから新教育は私立で行われていました
しかしそれも戦争の中で、厳しい目を向けられ
廃校へと追い込まれていきました
戦後
そして太平洋戦争に敗戦
新憲法ができます
そこで初めて権利としての学習ができました
子どもは、一人の人間としてその尊厳を尊重されるべきであり、人格及び能力を最大限に発達させ開花させるための学習権を保障されている(憲法13条、26条、子どもの権利条約6条、29条1項)。
以下のリンクより引用
思った以上に新しい概念
本格開始が戦後で、予想以上に新しいですね
自由に試行錯誤できたのは5年ほどのようです
その後は学習指導要領ができたり
教科書ができたり
学力テストが導入されたり
だんだんと上からの締めつけが厳しくなります
今では学習指導要領は指導法まで記載され
教員の自由な工夫の余地を奪っています
息苦しさを感じるのは子どもに伝わります
不登校が増加しているのはそれもあるのでは
そう感じています
学習機会
病気で学校へ行けない
さまざま理由で学校へ行けない
行きたくない
そんな子どもたちへの学習の機会は
十分ではありません
それは子どもが悪いのでしょうか
親が悪いのでしょうか
どちらでもありません
受け皿が少なすぎます
みんなが一緒に学ぶやり方はさまざまなやり方
その子にあったやり方で
やれるのが1番良いと思います
でもそれだけの受け皿は今はない
だから不登校になってしまいます
義務教育は一度きり
不登校になると多くの子どもとその保護者は
学習したことにして
卒業式にも出ずに
卒業証書だけもらって
卒業したことにしてしまいます
でも、義務教育は一度卒業してしまうと
再入学できません
学習していないのに
学習したことにしてしまう
もったいなさすぎる
そう思うのは私だけでしょうか