【生を考える】「新しい生活様式」と社会の家族化
なぜ今「新しい生活様式」なのか
5月4日、専門家会議が出した「新しい生活様式」。
はっきり言って、余計なお世話である。
もうとっくにやっているし、そのようなことまで指示されなきゃいけない国民だと馬鹿にされているように感じる。
社会は家族ではない
先日書いたマルクス・ガブリエル。
ドイツの気鋭の哲学者である。
彼のドキュメンタリーを書籍化した『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学するⅡ』(NHK出版新書)によると、以下のような文がある。
もし、「社会が家族のようなものだ」と考えで私たちが社会への理解を進めたら、いったいどうなるのでしょうか?小さな家族の中で得られた視野で他の家族とどのように係わるかを考えれば、その視点が社会に対する考え方に大きな影響を与えてしまうことがわかるでしょう?・・・(中略)・・・社会を家族の比喩で理解してしまうことは、社会を破壊してしまうことにつながりかねません。(p78より)
これを読んだとき、「新しい生活様式」押しつける社会に「家族」のあり方を押しつける政府を見、大日本帝国下で天皇を父とし、国民を臣民と呼びその子とした時代を思い出させられた。
マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学するII: 自由と闘争のパラドックスを越えて (NHK出版新書)
- 作者:俊一, 丸山,NHK「欲望の時代の哲学」制作班
- 発売日: 2020/04/10
- メディア: 単行本
思考停止することの心地よさ
大日本帝国時代のような家族としての社会は、今は一般的には信じられていないが、そうなりつつあるように見える。
国民の大多数は意識せずして臣民の立場、子としての立場にあまんじているようにもみえるのだ。
最近ではTwitterでもかなり政権批判がなされるようになってきてはいるが、まだ大多数は政府を支持している。
なぜなら「ほかよりよさそうだから」。
いったい何と比べているのか。
思考停止していないか。
思考停止は楽だ。
自動的にすべきことをしていればいいのだから。
しかしその結果が今のこの惨状である。
苦しいのは皆一緒、苦しいのは自分が悪いから、といったように仕向けているのは社会である。
思考停止の結果だ。
考え続けることをやめてはいけないのは、だからだ。
社会と個人について考え続けよう
なぜこうなったのか。
社会に税金を払っているのに助けてもらうことが後ろめたい?
なぜ助けてもらうのに攻撃されなければならないのか。
なぜ、やらなければいけないことを事細かに指示されなくてはならないのか。
しっかり考えることが必要だ。