【映画レビュー】「マトリックス」The Matrixー人間の意識や心とは何か
SFXの大作だと思っていたが
私はマトリックスを見たことがなかった。
1999年公開だというから、20年ほど前の作品。
私はキアヌ・リーブスが好きではないし、アクションにもドンパチにも興味が持てないので、この映画を見る可能性は今まで0だったのである。
しかし、先日も言及した気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルが、新実存主義を考える上で頭にあったのがこのマトリックスの主人公ネオであったという。
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では見てみるか、ということでDVDを手にした。
SFXを駆使した思考実験
実際に見てみると、面白くて息をつく間もないほどだった。
3時間強の作品だったが一度も気持ちがそれることなく最後まで見ることができた。
しかも、家族と見たのだが、自分の仮説が正しいのか巻き戻して前のシーンを確認しながら。
細かいところにまでキーポイントが入っているように思う。
会社の名前やホテルの名前、オープニングの緑の文字の配列など。
さまざまなものが人間の心の問題を扱っているよ、とアピールしてくる。
さらに、この物語では「仮想現実」というものが重要なキーとなっている。
そこで、話題になったのは、人間の意識についてである。
頭の中で起きていることを現実として感じるということはどういうことなのか。
意識の中で「殺される」というのはどういうことを意味しているのか。
意識の中で「殺される」ということは、意識の中では何が起こっているのか。
意識が「殺される」と肉体も死ぬということは意識と肉体は「相関関係にある」ということなのか、もしくはどちらかだけでは生きていくことはできないということなのか。
だとしたら脳死はどうなのか。
データとしての現実はいくらでも書き換え可能であるとすると、今ある現実はどうなのか。
意識の中では何でも可能だとすれば、私があなたにあなたが私になることも可能なのではないか。
など、関心や想像は広がり続け、永遠に作り続けられるセキュリティー人間もかなり面白くツボにはまった。
セキュリティー人間にも数パターンいたのだが、それはコンピュータが気に入った見た目だということなのではないか。
だとすればコンピュータにも好みがあるのか。
そしてそれがたまたま俳優がヒューゴ・ウィーヴィング。
指輪物語などでエルフの長エルロンドを演じており、私と子どもにとっては最強の存在であったため、めちゃくちゃにツボってしまい、最後の方では出てくるたびに爆笑になってしまった。
タイムリー
この映画は約20年も前の映画とは思えないほど、タイムリーな映画だ。
映画の中でも、人間の他に、他のものを滅ぼし尽くすほど繁殖する生き物は「ウイルス」だけだといっている。
そして映画の中で、ネオ達はコンピュータの中にウイルスとなって侵入する。
ちょうど今我々人間とそのウイルスが向き合っているのである。
さらに、この映画の世界はAIに支配されている。
AIの進歩著しい現代。
私自身はシンギュラリティは信じないが、本気で心配している人も多数いる。
「2001年宇宙の旅」のハル9000のように、人間を敵と見なすことがあってもおかしくはないのではないか?
それでも、この現実が嫌でAIに支配されることを好む人間は一定数いそうだ。
思考停止は気持ちが良い。
考えることは疲れるし大変だ。
それでも自由な思考を選ぶのか。
などなど、視覚効果だけではない面白さが、今だからこそカチッと頭のスイッチにはまるものも多かった。
見たことのない方はもちろん、一度見た方もぜひこの機会にもう一度見てみることをお勧めする。