黒歴史になりそう、懺悔。
しごとの引き際
昨年の6月まで教員をしていたのだが、体を壊し、やめなくてはならなくなった。
体調をなんとか回復させて復職するつもりだった。
年度途中で子どもたちには申し訳なかったが、病休に入ったから、どうしても戻りたいと思っていたが、前の校長からも今の校長からも暗に退職を勧められた。
無理に出てまた体調を崩しては確かに子どもたちに迷惑をかけてしまう。
もちろん同僚にも。
それが一番怖かったので、辞めることにした。
あるところで、辞めたことを話す機会があった時、不覚にも涙が出た。
その時初めて気がついた。
こんな形で辞めなくてはならなかったことが、悔しかったということに。
しかし、やめ時は今までに何回かあったのかもしれない。
引き際を間違えたのだろうか。
でもこの仕事が好きだったので石にかじりついてでも、回復して続けたかったのだ。
そして、結果は辞職。
心にしこりの残る辞め方になってしまったことは、子どもたちや同僚にも申し訳なく思っている。
仕事は楽しい
しかし、教員という職業は、子どもたちとの出会いやたくさんの楽しい出来事、経験をさせてくれた。
自分なりに工夫した学習指導や学校生活はやりがいがあった。
特に就職して2年目から4年目は、チャレンジングなことをたくさんやった。
家庭科の実習や理科の実験など、慣れないことだらけだった。
夜に地区ごとに子どもが集まって、星の観察を計画したり、家庭科の軽量スプーンの使い方では家庭のドレッシングレシピを教えてもらったりと、保護者の方々には大変ご迷惑をおかけすると同時に協力していただき、感謝している。
サポーターとしての仕事
しかし、ここ数年は学校生活の忙しさが就職した頃に比べて段違いになっている。
子どもたちとのゆっくり過ごす時間もない。
今は外から学校教育がより良くなるようにサポートできることがないか模索中だ。
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