教育の隠れた目的
デヴィッド・グレーバーの
『ブルシット・ジョブ』
少し前に話題になった本なので
知っている方もいるのではないでしょうか
今回やっと読むことができました
教育についても触れられているところがあり
とても気になりました
大学生のブレンダン
彼が非常に退屈な仕事をさせられたことを
例示していました
そしてその例を引いて
以下のように言っています
学生向けの雇用目的仕事(メイク・ワーク・スチューデント・エンプロイメント)が、将来のブルシット・ジョブに向けた「準備と訓練」の方法だとするブレンダンの指摘が意味しているのは、こういうことである。かれは、高校の歴史教師になろうと勉強していたのだったーまちがいなく意味のある仕事だが、その仕事もまた、アメリカのほぼすべての教職と同様に、授業や教材準備にあてることのできる時間が減少する一方、管理業務に費やす時間総数は劇的な増加を示している。これこそブレンダンの示唆しているところである。すなわち、大学の学位取得を条件とする職がますますブルシットなものになる一方で、目標をもった自主的活動よりも将来の職業生活(キャリア)の機械的次元(マインドレス・アスペクト)の備えになるような仕事に時間を割くよう大学生が圧力をかけられるようになってきたのは、偶然の一致ではない。
日本でも似たようなことが
行われているのでしょうか
少なくとも教職に関する記述は
日本にも当てはまります
また少し歴史を遡って
次のようにも述べています
工場ではタイムレコーダーが採用され、労働者には出退勤時にタイムカードの打刻が求められるようになった。規律と几帳面さを貧民に教え込むことを目的とした慈善学校(チャリティー・スクール)はパブリック・スクール体制へと移行したが、そこではあらゆる社会階級の生徒がベルの音とともに毎時間立ち上がり、部屋から部屋へと行進させられた。この仕組み(アレンジメント)は、工場での賃労働者としての将来の生活にむけて子どもたちを訓練すべく、意識的に設計されたものだった。
これを読んで大学で学んでいた時に
よく言われたことを思い出しました
ヒドゥンカリキュラムという言葉です
隠れたカリキュラムです
学校で当たり前のように
- 先生に呼ばれたら返事をする
- 時間に合わせて行動する
- 人の話は静かに聞く
- 質問に答える
- 挨拶を元気にする
などといったような普段深く考えずに
普通に行われていることの中に
社会に出た時に従順な労働者となるような
訓練が隠されているわけですね
話は変わりますがラグビーW杯フランス大会
開会式ではフランスらしさが出ていて
大変素晴らしく、感銘を受けました
そして何より「偉い人」の話を聞かない!
勝手に盛り上がる!
大統領には、ブーイング!
BREATHTAKING Opening Ceremony | Rugby World Cup 2023 - YouTube
この様子に日本大会ではこうならないなぁと
思うと同時に学校教育の罪深さを思って
今まで行ってきたことを振り返って
ふと怖くなりました
セレモニー(儀式的行事)はそれにふさわしく
厳粛な雰囲気で行う旨が
学習指導要領に書かれており
それに沿って学校では行われます
それに疑問を抱かない人の多いこと
もちろん私も含めてです
もう少し世の中を広くみて
学校がどうあるべきか
考える必要があると思います
しかしそれをさせないために
教育のブルシット化が進んでおり
教員は考える暇もないでしょう
それこそが政治のねらいです
そこに抗うには教員も団結して
本来の意味での子どものための教育を
できる環境を求めていく必要があると考えます
もちろん私たち大人の責務として
学校関係者に限らず全ての大人が
もう少し教育に対して
真剣に向き合うときがきていると思います