【教育は未来への投資】教員が分散登校を嫌がるのはなぜか
頭が固い教育行政
分散登校と言いながら、1クラスの全員を登校させ、別室へ分けることを大方の教員や教育行政は考えているらしい。
実際、うちの子どもの登校日も時間差ではあるもののクラス別登校であった。
5月1日に出された通知(新型コロナウイルス感染症対策としての学校の臨時休業に係る学校運営上の工夫について(通知))の最後の方に、やっと学級を分ける案の例が出ている。
以下のページの「重要なお知らせ」の中に、「新型コロナウイルス感染症対策としての学校の臨時休業に係る学校運営上の工夫について(通知)」があるのでそこをクリックするとPDFファイルですぐに見られるようになっている。
しかし、この提案には無理が多すぎる。
何しろ、そんなに部屋もなければ、人もいない。
退職教員は言うまでもなく高齢者がほとんどである。
時間を分けて、学年全員が1日のうちに手分けして学習をするとなると、教員はパンクしてしまう。
まず不可能である。
そもそもこんなことは文科省が示すことなのだろうか。
設置者(学校の場合は各教育委員会)が工夫すべき所だろう。
しかし、2006年の教育基本法改正に伴ってが教育委員会が、文科省からの上意下達機関と化した今となっては、上の顔色をうかがわなくては動けない体質になっているのかもしれない。
本来は教育委員会は学校を管理し、教員が働きやすい環境を整えるためにあったものである。
その機能を持ち続けていたならば、今の状況を考えて積極的に動けただろうか。
しかし、それも歴史のIFとなってしまった以上考えても仕方の無いことだろう。
一つ言えることは、教育行政は現場のことをすっかり忘れてしまっているか全くわかっていないということである。
わかっていなさそうだから、反発があるのだ。
どうして倍になるんですか?毎日今まで通りのような時間割ですよ。内容は日替わりでなくなるだけです。同じ授業を何回かやるだけ。例えば月曜日と火曜日は同じ時間割でいいんじゃないでしょうか?だって来る子どもが違うんだから…扱う学習内容は文科省が学習内容を精選してくれればいいんですよ。
— 田村 佐保 (@saho_tamura) 2020年4月30日
首長の役割もあるけれど、臨時休業するかどうかは設置者の教育委員会判断では? https://t.co/AweZaSNp1g
— 妹尾昌俊(教育研究家) (@senoo8masatoshi) 2020年5月2日
労働基準法は、どう扱うのでしょう?
— 明日の学校を憂う(西野) (@asujyu) 2020年5月2日
変形時間労働時間制の時数すら、軽く超えそうな勢いです。 https://t.co/yixjF0SoF1
学校現場では、どうしても「全員平等で…」と足踏みしがちですね…
— 寺田昌嗣@科学的な読書教育を探求中 (@srr_terada) 2020年5月3日
オンデマンドの映像授業で進められる子。
教科書を中心に自律的に取り組める子。
グループ学習で捗る子。
先生の徹底的なケアが必要な子。
個性、特性をみながら「その子にとっての最善」を見出していけるといいのですが。
分散登校って何?
分散登校の例として、文科省が示しているのは次の通り。
②分散登校の工夫
児童生徒数の多い学校にあっては,①に示す身体的距離の確保のため,
・時間帯又は日によって登校の対象とする学年又は学級を順次変える方法
・学級を複数のグループに分けた上で,登校の対象とするグループを順次変える方法
等により分散して登校するなどの工夫が考えられる。(参考資料参照)
分散登校とはいえ、クラス全員が登校すれば3密を避けることはできないため、クラスをいくつかに分けて加配教員を置くというパターン。
これが一つ目の黒丸である。
では、クラスを出席番号で2〜4グループに分けて日替わりで登校させてはどうだろうか。
これが黒丸の二つ目の点である。
これならばいくらか感染リスクを軽減できそうにも思える。
しかも、完全ではないにしても徐々に学習に取り組むことができるようにはなる。
どちらも十分な学習時間が確保できるわけではないが、そもそもここまできたら、今までの遅れを一気に取り戻そうという方が無理である。
学習内容については、文科省の仕事である。
この学習内容についてはあとで述べる。
分散登校をしても
人数を絞って登校させて、席を離しても休み時間等には子どもたちは群れたがるのは当たり前である。
子どもの遊びは離れてできるものではない。
スキンシップをしながら仲良くなっていくものである。
子どもの発達段階からいって、子どもたちは社会性を育む時期であるため、集団遊びを好む子どもが多い。
「子どもの外出や外遊びが本当に『不要不急』なのか」。これはあらためて重要な問いかけ。未来を作るのは"Explorative children!" (Olafur Eliasson) であり、子どもの冒険をゆるすのは大人の重大な任務だ。https://t.co/vyqo3c5cjW
— 森田 真生 (@orionis23) 2020年5月3日
全く同感。
— 鈴木 大裕 (@daiyusuzuki) 2020年5月3日
自然界に目をやれば、遊びの中にこそ生きるための学びがある事は一目瞭然。遊びは学びであり、それこそが子どもの仕事。教育哲学者の大田堯は嘆くでしょうよ。このうえ更に夏休みや冬休みを潰して授業なんかやったら子どもたちは完全に「失業者」ですよ、って。 https://t.co/fijgc5v7oJ
感染状況の把握が必須
十分に衛生環境を整えられなければ、学校の責任にされる。
検査が思うように受けられなければどこに感染者がいるか分からない。
子どもたちや教員が感染状況を把握するための実験の対象とされる恐れがある。
どうするんでしょうかね?
— クリスマスローズ (@educationmama3) 2020年5月4日
休校解除して生徒に感染者が出たらクラス全員PCR検査するのでしょうか?
感染者が出たら即休校になるのかも気になります。
そういうルールって決まってるんでしょうか?
自治体任せ?
文科省が本来やるべきこと
文科省が本来やるべきことは時数が減少したことに伴って、教育の内容をどう扱うかを示すことだろう。
なぜなら、学習指導要領という形で学校に示されている学習内容等は教員にとっては今となってはクリアしなければならない課題だからだ。
かつては指針に過ぎなかったものをここ20年ほどで守らなければならない最低ラインとしたのは文科省だ。
また、各教科に割り当てられた時数についても最低ラインとしてきたものを、昨年度末の休校に伴って、満たしていなくても可とするというコメントが大臣からあった。
では、これから始めていかなくてはならない学習について、今まで行っていたはずの学習についてはどのようにするのだろうか。
その点で責任を持つべきは文科省である。
「リスク」概念はそのまま「不確実性」に置換される。
— 内田良/部活動・教職を持続可能に! #学校カエル (@RyoUchida_RIRIS) 2020年5月3日
9月入学は,学校教育内よりも学校教育外への影響の予測がつきにくく,何よりもそれを6月頃に決断という点で,不確実性のかたまり。
教育内容の削減・先送りを含め学校教育内のマネジメントで済むものならば,そのほうがよいような気がしています