エンデの言葉に共感した時。一つのものを見ていても同じものを見ているとは限らない。
大勢の人が同じ本を読むとき、本当にみんな同じものを読むのでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2020年1月3日
ドイツの児童文学作家エンデ
上のツイートは私がフォローしているドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデのbotのツイート。
エンデは『はてしない物語』『モモ』の作者である。
エンデの言葉を実感として
上のツイートの言葉を実際に感じたことが最近あった。
先日神社について書かせていただいた時のことだ。
いつもはひとりで散歩するコースを家族と散歩した。
すると、私の見えていないものがたくさんあった。
例えば、新しい住宅が増えたこと。
そして、気がつかなかった教会の尖塔のようなものが見えること。
いつもは矢印の方向に曲がるので、自然とそっちの方ばかり見ていたようだ。
その時は確認しなかったのだが、あらためてそちらの方に行ってみると、蕎麦屋の文字が!
はてなが頭の中を渦巻いた。
そこはカフェで向かいにはそば屋もあった。
そして思っていたよりも大通りに近くまで来ていて、自分が感じていたよりも遠くまで来ていたということに気がついた。
ひとりで散歩しているだけでは、もしかしたらずっと気付かないままだったかもしれない。
私は比較的好奇心が強いと自負していただけに驚いた。
多角的な見方ができる人に
やはり、同じ現実でも10人いれば10通りの見方があるのだと実感した。
「認知の歪み」や「見方のくせ」ということを発達障害やうつ病の治療や説明などの時に使うのだが、これもその一つかもしれない。
自分には認知の歪みなどないと思っていたが、くせはあるのだ。
これからもできるだけ多くの人の意見や考えに増える機会を持ちたいと思う。
ブログの閲覧もその一つである。