ふるさとは遠きにあって想うもの、新たな土地にはロマンがある。
かつて1年だけ、小学校の時に家族の仕事でドイツの村に住んだことがある。
小さな村なので日本人学校もなく、もちろん現地校。
言葉もわからず飛び込んだ世界だったが、
私にとったら新しいことの連続でとても楽しい日々だった。
小さなその村は40年たった今でも鮮烈な思い出として残っている。
後日、大人になってからその村を訪ねた。
懐かしい景色はだいぶ残っていた。
しかし、知った人には出会うこともなく(突然行ったからだが)、
変わってしまったところも目についた。
やはり、思い出のある場所には行かず、
想うだけにとどめておくのが美しいのかもしれない。
住みたいところとして選ぶのは、未知のところが良い。
その方がロマンがある。
私はそういう意味で、「特別な街」としては住んでいたポルトリンゲンをあげる。
しかし、住みたいところとしては、
日本のどこかの山の奥深くで方丈を営みたいと思っているのだ。
今でもあるのだろうか。
人の手の入っていない、だれのものでもない土地は。
そんなところでひっそり閑として、訥々と暮らしてみたい、
これが夢見る暮らしたい所である。
しかし、これでは街ではない。
暮らしたい街を一つあげるとするならば。
江戸時代の城下町だろうか。
長屋でいい。
先ほどの方丈とは180°変わるが、近所の人々との暮らしが近く、
様々なものをシェアして暮らす。
水だってシェア。
洗濯も近所の人と一緒に。
プライバシーを守るのは難しそうだが、楽しそうでもある。
子育てだってしやすいだろう。
さらにエコ。
江戸時代の暮らしぶりをのぞいてみたい。
シェアハウスはそれに近いかもしれない。
シェアハウスでできている街、そこが今は「住みたい街」かもしれない。
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