【ゼロウェイスト】『ゴミ清掃員の日常』を読んで涙が出そうになったこと
ゴミから見えること
以前から気になっていた本をやっと読んだ。
お笑い芸人マシンガンズの滝沢氏の本である。
申し訳ないことながら、お笑いには全く興味がないので、滝沢氏を存じ上げなかった。ゴミ問題に取り組んでいる者として、この本が気になっていたのである。
私たちのゴミはどのようにしてゴミ処理施設へ行くのか
ゴミ処理施設や回収、分別についてなど本当は小学校4年生で学んでいる。
しかし、つい日々の暮らしに忙しくしていると、学んだことを忘れ、ゴミ収集場にゴミを出して、はい、おしまい!となりがちである。
しかし、この本はその先を丁寧に描いている。
私たちが出したゴミを回収してくれている人たちがどのような思いで回収しているか、回収で困ること、うれしいことなどを綴っている。
そこには清掃員の人生があり、生活する人たちの人生がある。
ゴミの出し方がその収集場近辺の様子を表すという言葉には深く頷ける。
深い洞察と、優しいまなざしに涙が出そうになった。
ゴミの出し方=その人自身
ゴミがきちんときれいに出されているところはコミュニティが機能しているのだろうと述べている。
私たちの地域では順番にゴミ収集場の清掃当番が回ってくる。
こうなると自分の番のときのことも考えてきれいに出そうという気持ちになる。
反対に汚かったときには清掃日誌のようなノートに分別されていないゴミがあったり、回収日でないものが出されていたりした旨を書かれてしまう。
面倒ではあるが、これが一番みんなが気持ちよく使える工夫なのだろう。
回収する人のことも考えた出し方まではいかないまでも、きちんと回収されるよう、ゴミが散乱しないようきちんと縛ろうというバイアスが働く。
ゴミを資源化することの限界
本の中ではペットボトルについても触れている。
ペットボトルは回収され、資源として使われるためには、異物の混入はNG。
そこで清掃工場ではペットボトルのキャップ外し、ラベルはがし、ワンウェイペット以外のもののはじき出しなどを行っている。
この本の中では人海戦術である。
おそらくどこでもそうだと思われる。
せっかく分別したつもりでも、間違っていると人の手を煩わせてしまったり、ゴミとして再び出されるという道をたどる。
分別は自治体によっても違い、分別はかなり難しいと思う。
しかも、ペットボトルは結局燃やされて、熱として回収するという熱サーマルとして使われることが多い。
熱サーマルと言えばなんだか聞こえはいいが、つまりは焼却処理で、リサイクルとは言えない。
つまり、ペットボトルのリサイクルはほぼリサイクルではなく、ダウンサイクルであるため、ペットは出さないのがベストであろう。
リデュースこそ必要
こう考えてみると、何にせよゴミは減らすのが最善の方法だと思われる。
生ゴミは様々な方法で堆肥化できる。
日本では堆肥化する施設があると言うことを聞いたことがない。
アメリカなどでは使われている手法のようだ。
日本でもぜひ生ゴミなどを堆肥化する施設などを自治体で作って欲しい。