【映画レビュー】「カラーパープル(The Color Purple)」初々しいキュートなウーピー・ゴールドバーグ
人権の問題はどこにでも
この「カラーパープル」は黒人の姉妹の別れと再会を描いたもので、主に姉のセリーの人生を描いている。
黒人が主題というとつい、人種差別の問題かと思ってしまうのだがそうではない。
どちらかというと家庭内でのDVや女性差別の問題が主である。
おびえながらの生活
ウーピー演じる姉のセリーは、父に乱暴され望まぬ子どもの2人出産し、「ミスター」と呼ぶことになるアルバートの所へ。
子どものころから暴力にさらされ続け、おびえながら暮らすセリー。
妹のネティも父親の乱暴をおそれ、セリーの所へ逃げてくるのだが、結局ミスターに乱暴されそうになったのに反撃し、それが元で追い出されることになってしまい、姉妹は別れ別れになってしまう。
必ず手紙を書き続けると約束して。
セリーはその言葉を信じ、ずっと手紙を待ち続けるのだが、アルバートがすべて郵便を隠してしまい、手紙は届かない。
それでもじっとセリーは待ち続ける。
おびえる姿に心が痛むし、心も体を縮こめながらセリーの姿を追った。
理解者と救済
これを見ながら、理解者と救済者となるとは限らないと思った。
というのも何度か理解してくれそうな人が出てくるのだが、ほぼ失望に変わるのだ。
救済者は理解してくれるが、理解者は救済者には至らないこともある。
それは力の関係で仕方の無いことも多いだろう。
しかし、救済されると期待させるだけに、期待が裏切られたときの失望も大きくなる。
この期待と失望、おののきなど初々しいウーピー・ゴールドバーグの演技が光り、自然と応援してしまう。
差別とは
差別が始まるところには、暴力がある。
言葉の暴力も含まれる。
それは女性である、黒人である、子どもである、特定の職業であるといった属性に向けて、行われる。
もちろん人種間の差別も世の中には依然としてある。
その他にもたくさんの差別があることを知りること。
自分は差別意識を持っていないかと絶えず内省しながら生活すること。
そのようなことを心がけないと知らないうちに差別的な目で物事を見ていることもあるかもしれない。
心が引き締められるような気持ちになった。