【生を考える】名優・志村喬からのお叱り
昨日に引き続きの大岡越前
今回は予想通り、小石川養生所を設置する回。
そこに出てくるのが、志村喬である。
大変な名医であるにもかかわらず、長屋に住み貧しい者からは薬代も取らず、富めるものからはしっかりお代をいただく粋な先生、これが志村喬である。
施薬院という名称
当初「施薬院」という名称の施設を計画していた伊織と大岡。
気合いを入れて、ぜひ施薬院の計画に加わって欲しいと口説こうとする伊織を叱責する。
施薬院の名称の、施薬というお上から「施す」という心が気に入らぬという。
しかも、施薬院といって、薬だけやっておれば良いのか、考え直さなければ引き受けないと言って、伊織をペチャンコにしてしまう。
その時の志村喬は決して声を荒らげたりしない。
もちろん、言っていることももっともだし、師匠として心酔している人物から言われたのだから、ペチャンコになるのも仕方はない。
しかし、こちらまで「申し訳ありません!心得違いでした!」と言わしめる迫力があった。
最近のドラマでは
最近ドラマをあまり見ない。
ちょっとつけると大袈裟な演技や、過剰な音楽などが耳につき、ドラマのストーリー以外の所や細部のおかしなところが気になってドラマに集中できなくなる。
ちょっと見ても「ありえねーだろ!」と叫んで、見なくなるのがオチである。
志村喬のような名優がなかなか見られないのが残念である。
もちろん志村喬の演技だけではなく、巧妙に練り上げられたストーリーやその背後に隠れている教養的知識がそれを裏打ちしているのであろう。
演劇界を育てる
韓国では映画やドラマに国が力を入れている。
イギリスでは演劇が正科として取り入れられているという。
日本では演劇を専門とする大学もほとんどなく、演劇や映画など文化への投資が少ないように思う。
それがこういう点でも出ていているのではないかと感じる。
心を豊かにする
前回も書かせていただいたが、今、高度に倫理的な判断をしなくてはいけない課題が山積している。
そんな時に、演劇や小説、美術などで心が複雑に絡み合っている経験を追体験したり、改めて考える機会を得たりしなくては、心は育たないのではないだろうかと考える。
もちろん、実体験も大切だ。
しかし、それでは限界がある。
それを補って成長させてくれるのが芸術なのではないだろうか。