【生を考える】子どもと宗教談義をする
一応禅宗
最近何かの折にふと禅宗の話から、手塚治虫の「火の鳥」に出てくる仏教の話、果てはキリスト教の話になった。
子どもは赤ちゃんの時から墓参りやお彼岸参りなど折に触れてお寺に行き、和尚さんと話したりお経を上げてもらったりして、お寺になじんでいる。
実家は曹洞宗。
それ以前から、禅には興味があった。
しかし、今アツイのは原始仏教である。
手塚の「ブッダ」から「聖☆おにいさん」まで
私がこのような趣味を持ち、さらに住んでいる自治体では藩校の伝統を受けつぐとして、「子ども塾」なる孔子の論語の暗唱をさせる儒教教育をしているため、子どもたちは結構さまざまな宗教について耳にしている。
うちには書庫に手塚の「ブッダ」がそろっていたため、子どもは小さいときから1度は目を通している。
ちなみに昨日ブログに書かせていただいたイギリスのロックバンドQUEENのリードボーカル、フレディの家は拝火(ゾロアスター)教だそうだ。
ちょっと耳にしたものも入れると、うちで知られているのは
- 原始仏教
- 仏教(上座部)
- 仏教(密教系)
- 仏教(浄土系)
- 仏教(禅)
- 神道
- 国家神道
- 土着宗教(神仏習合系?)
- 拝火教
- ヒンズー教
- バラモン教
- キリスト教(ローマカトリック)
- キリスト教(プロテスタント)
- キリスト教(ギリシャ正教)
- キリスト教(ロシア正教)
- ユダヤ教
- イスラム教(スンニ派)
- イスラム教(シーア派)
などがある。
その他にもニュージーランドや南洋系の神々、韓国のトッケビ、中国の神話、ギリシャ神話、北欧神話、古事記、などなど、話は広がり、つきることはない。
子どもの好きなアベンジャーズにまでトール(マイティ・ソー)は出てくるし、ファンタジー系のゲームにも神話の神や生き物はでている。
さらに、このように普段から宗教が会話に出てくるので、「聖☆おにいさん」のネタはほぼ仕込まれている。
一致して言えること
子どもと意見が一致したのは次のことである。
- 神が八百万の場合、話しを聞いてくれそうな雰囲気。身近なものがご神体となっていることが多い。
- 一神教の神は不条理である。
どちらにも共通して言えることは
- 神様は当てにならない。
ということ。
仏教はお釈迦様に逆らっている
こんなことを言うと仏教の信者の方から怒られそうだが、仏教の存在自体がお釈迦様に逆らっている。
お釈迦様は解脱される前に、自分の像や遺体などを祈りのよりどころとしてはならないように言ったという。
なぜなら、お釈迦様が言っていたことは「自灯明、法灯明」の精神だからである。
つまり、自分をたよりにする、きまりをたよりにすることを心にとめて生きるようにいっていたからだ。
まあ、そういうことがわかるのもそれに逆らったお弟子さん達がお経という形で私たちに教えを残してくれたからではあるが。
私の目指すもの
そういうわけで(?)お釈迦様の言うところに強いあこがれを抱く私は、「生まれ変わったら何になりたい?」という問いにははっきりと「解脱したいので生まれ変わらない」と言っているのである。