【教育は未来への投資】いつまでたっても大人にならない
今週のお題「大人になったなと感じるとき」
ピーターパンシンドローム
私が中学生だった頃はピーターパンシンドロームで、大人になりたくなかった。
大人になったら、自由にいろいろできる反面、いろいろと制約も増えそうだったからだ。
特に就職などしようものなら、自由に使える時間は減ってしまうではないか。
だから、大人になどなりたくなかった。
成人式を迎えたとき
成人式などという世間一般のことをするのが嫌いなひねくれ者だった私は、成人式には行きたくなかった。
しかし両親のたっての願いで(振り袖は免れた)、パンツスーツで参加。
その時も、誰といって知った人にあうわけでもなく、「みんな浮かれてるなあ、うるさい」などと思っていた。
式のあと中学校の恩師が来ていたこともあり、中学校の仲間に会ったわけだが、皆変わらないなあ、という印象だった。
明るくなったり、元気そうになってやんちゃなところを発揮している子もいたが、おおむねそのまま大きくなっただけだった。
このときもまだ、子どもの延長線上にいるだけだった。
就職して
就職してからは、いろいろと大変なこともあったが、自分で何かをやるということを覚え、自己実現をしていける環境にあり、やりがいのある職場だった。
周りには同期はいない。
数年たっても一番下のままだったので、やりたいようにやらせてもらい、忙しいながらも充実していた。
これは大人と考えても良いかもしれないが、学生の延長気分だったかもしれない。
もちろん、仕事は手を抜かずに自分なりの創意工夫をして取り組んだ。
だが、一番下と言うこともあって、職員だけの席になると甘えのようなものはあったかもしれない。
結婚、出産、病気、退職
結婚し、その一年後に出産。
その時、子どもを産むというのは大変なことだということがわかった。
人が1人何もないところから増えるのである。
出産の瞬間、世界が変わったと思った。
この世界に1人、人が増えたのである。
そして夢中で子育てを続けてきた。
そして子育てと介護、仕事、家事を両立しながら暮らすうちに病気になり、病休と復職を繰り返し、ついに退職。
無我夢中だったので自分が大人であるという感覚はなかった。
もちろん、子どもができたので保護者になり、責任は増えたのだが。
しかし、病気になり、退職してみると自分はまだ何もなしてないような気になる。
まだ大人として不十分なのではないかと思う。
そして、いつもこう思っている。
「将来何になろうかな」