【生を考える】敬老の日なのにごめんなさい!縁起が悪くて!虫の知らせ
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
懐かしい思い出
皆様のおじいちゃん、おばあちゃんはご健在だろうか。
私には、今はもう亡きおじいちゃん、おばあちゃん。
懐かしい思い出もだんだんと薄れてくるが、懐かしさは増してくる。
母方の祖父
母方のおじいちゃんが亡くなったのが、中学2年生の時。
新幹線と特急を乗り継がなくては行けない遠いところに住んでいた。
ある日突然の電話。
危篤だという。
慌てて行っても間に合わない距離である。
それでも、母は慌てて出て行った。
そして、後から聞いたところによると、母が家に着いた時には、線香の香りがしており、亡くなったことに気づいたという。
このシチュエーションをどこかで聞いたことがあった。
いつか夢で見たことがあることに気がついた。
気づいた時には、怖いというより「やっぱり…」という気持ちになった。
父方の祖母
父方の祖父が大往生してからしばらく。
元気だったおばあちゃんが急に気が抜けたようになって、病院に入っていた。
ある日、夢でそのおばあちゃんが、すーっと遠ざかっていく夢を見た。
そのあと少しして、亡くなった。
別れを告げにきたようだった。
この時も、怖いというより「ああ、早く行って会ってあげればよかった」という思いが強かった。
特に、おばあちゃんに最後に会った時にはきっとまたくるからね、と約束していたからだ。
飛行機ではないとなかなか行けない遠い場所に住んでいた。
その頃には仕事を始めて忙しくなり、疎遠になっていた。
この時から、あまり人と別れる時には「またね」は言わなくなった。
おじいちゃん、おばあちゃん
おじいちゃん、おばあちゃんは記憶の中で生きている。
あんなことを言った、こんなことをしていた、ということを折りにつけ思い出すようになった。
「人は死んでしまっても、心の中にいる」とはよく言ったものである。
今時の子どもたちはこういう思いを持ったことがあるのだろうか。
こういう体験が人を作っていくのではないだろうか。