【教育は未来への投資】読書感想文、コンクールありきだから。
今週のお題「読書感想文」
夏休みの宿題の定番
読書感想文は毎年の夏休みの定番の宿題の一つだろう。
なぜかと言えば、「全国青少年読書感想文コンクール」があるからであり、それに対してどれだけの応募があったのか、学校ごとに集計しなければならないからである。
ならば学校で書かせたら良いのに、と思う。
その気持ちもとてもよくわかる。
しかし、20年前ならいざ知らず、今の学校はやらなければならないことだけで精一杯であり、そういうことに割く時間がない。
したがって、家庭に任せるような形になっている。
そういうものは他にもいろいろある。
学校に頼めば人が集まる
学校に対して、各方面からさまざまな作品の募集があり、それが自由に参加できるなら良いのだが、各校何点、と決まって下りてくる。
それを出さないわけにはいかないため、課題として残るのである。
地域の文化祭への出展や地域の水道局、消防などからも依頼が来る。
教員だってできれば指導はしたいから、学校で書くのが一番良いのだと思う。
しかし、それらは正規の授業でできる内容ではないため、もしやるならばそれは他の教育内容を圧迫することになる。
つまり、読書感想文で言うならば、読書感想文をやりたいなら、国語で位置付ければ良いのだが、それが学習指導要領に位置づけられていないのである。
それは読書感想文だけではなく、パレードやお祭りへの参加、東京オリンピックへの動員など、ちょっと見ただけも全国で同様のことが行われていることがわかる。
ビルト&ビルトの教育界
余計なものはやめる、というのがこのCOVID-19 で、一斉休校になった今年がチャンスだったと思う。
しかし、教育界の動きは鈍く、なんとか元に戻そうとする力が働いているようである。
これをもっと柔軟にするためには、どこから手をつけたものだろうか。
全くどこが悪いのかわからない状態にまでなっているのが現状ではないだろうか。
まずは何を目的に学校教育が行われているのか、根本に戻って要不要などの判断をしていかなくてはならないのではないだろうか。