未来のコンパス

教育、環境問題についての思いや学びについて綴ります。

【生を考える】会いたい時には会えないもの

 

今週のお題「会いたい人」

  

結婚後

結婚後。あれよあれよと言う間に、子どもが生まれ、自分も病気になり、家族も病気になり、父親が倒れ、約1年後に亡くなった。

あっという間である。

そうこうするうちに、今度は母が入院し、人工肛門の手術。

認知症もあり、体力も低下、やむなく介護施設へ。

ところが、同居の義父は事故で亡くなった。

何が起こるかわからないあっという間の20年足らず。

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考えてみれば

子どもの頃は、夏休みなどの長期休業中にはおばあちゃんちへ行くのが恒例で、「またおいで。」と言われて、「はーい!」と無邪気に答えていたものである。

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それが、突然訃報や危篤の知らせが来たりして「またね」は通じないということを、心に刻んだのは高校生くらいだったろうか。

それ以来、「またね」は使わないようにしている。

諸行無常を感じたのもその頃。

 

結婚後に戻ると

結婚した後、実家に戻ることはあまりなかった。

居場所がない。

やはり今のうちが、私のうちなのだ。

家族の形態は、その人の人生のうち、3回くらい変わると言われるが、本当に変わってしまうのである。

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いつまでも子どものままでもいられない。

数年後には子どもも巣立っていくだろう。

その時にはまた家族の形態が変わるのだ。

 

で、会いたい人は

というわけで今会いたい人は現実的には、母である。

介護施設が新型コロナで面会謝絶状態なので、今はダメだ。

大丈夫だった時には、後で…と思っていたのに、ダメとなると後悔に似た気持ちになる。

再開されれば、また後で…となるかもしれないが、人間の気持ちは本当に難しい。

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自分の気持ちすらよくわからない。