未来のコンパス

教育、環境問題についての思いや学びについて綴ります。

女子マネに違和感を感じた夏

運動部につきものだが

春、子どもがラグビーを始めました。

高校は男子校。

中学校では柔道をやっていました。

男女とも一緒の練習だったようです。

そういうわけで、自分のことは自分でやっていました。

f:id:saho-tamura:20210908143719j:plain

それが当然だと思っていました。

私自身は、運動部ではありませんでした。

ですから、マネージャーという地位がどのようなものかよくわかっていません。

夏休みの練習試合の見学で

ある時、同級生の保護者と話す機会がありました。

すると、思いがけない言葉。

共学の学校を見ていて女子マネがいるのがうらやましく思うようになったらしいと。

そこではじめて、女子マネージャーに憧れている子がいることに気がつきました。

男子校だから、当たり前のことですが、女子マネはいません。

自分たちで部室の片付けも、練習の片付けも全てやっているようです。

それが当たり前。

なぜマネージャーに「女子」をつける必要があるのでしょうか。

なぜマネージャーは女子なのか

なぜ部活動ではマネージャーは「女子」なのでしょうか。

仕事の様子を見ていると主に雑務をする人をマネージャーとしているように見えます。

だとすると、部活を縁の下で支える仕事をする人は「女子」ということでしょうか。

女子にケアを押しつける文化がここで醸成されているような気がしました。

f:id:saho-tamura:20210908143535j:plain

あまり気持ちの良いものではありません。

もし縁の下の力持ちをしたいのであれば、女子に限る必要はないと思います。

「マネージャー」でよく、それは必ずしも女子でなくて、男子でもよいわけです。

そういう体育会系の文化が、ジェンダー観をゆがめているのだとしたら問題です。

自分の面倒は自分で見る

私は自分のことは自分でできる子になってくれるといいと思っています。

しかしながら、かく言う私も若い頃は、奥さんが欲しいと思っていました。

女子校でも同様のことを言う子は多かったように思います。

「ダンナはいらないけど、奥さんが欲しい。」

それは今考えるとジェンダー観の歪みです。

お母さんはケア労働をしてくれるものだという思い込み。

f:id:saho-tamura:20210908143222j:plain

奥さんは旦那さんの面倒を見るものだという思い込み。

今では、そんなことは思わなくなりました。

お母さんだって、奥さんだって、ケアするためにいるわけではありません。

わたしは女子校育ちで、力仕事でも修理でも自分でやるのが当たり前に育ちました。

しかも、三姉妹です。

それでもそのようなジェンダー観をもっていたのか、とあらためて反省しました。

やはり同性だけで暮らしているから大丈夫、という問題ではないようです。

夏に読んだ本にも

とにかく、この夏は女子マネの存在に、違和感を深く感じました。

夏に読んだ、武田砂鉄『マチズモを削り取れ』にも似た経験が書かれていました。

女子だからマネージャー、というのはおかしいのだということに確信を持ちました。

女子でも男子でも、マネージャーをやりたい人がやるのがいい。

雑用は女子の仕事、この考え方を変えたいと思います。