【生を考える】日記をつけることの意味
日記をつけようか思案中
今、日記をつけるか思案中である。
バレットジャーナルを始めて3ヶ月、何も書かなかった頃に比べたら、ずっと日々の出来事を思い出せるし、充実した生活を送っていることを確認することができている。
そこで思い出したのが子どものころ日記をつけていたことである。
ドイツへ約1年
私は小学2年生の時に父親の仕事の都合で、ドイツの田舎町へおよそ1年住んでいたことがある。
その時に親から渡されたのが日記帳だった。
「これからの生活は思い出せると良いような大事な記憶になると思うよ。」と言ったようなことを言われて、向こうで生活を始めると同時に日記をつけ始めたのである。
実際、向こうでの生活が楽しかったことや、イレギュラーなことがたくさんあったことで日本でのその後の生活よりも鮮明に覚えていることが多い。
しかし、日記を見るとさらにその時思っていたことや、自分のちょっと生意気な先生口調がよみがえってきて、こんなことしていたのか、とびっくりすることもある。
日記を書くことで記憶を強化する働きがあるのではないかと最近では思っている。
子どもの受験を控えて
今年受験する子どもがいる。
もうすぐ試験だ。
ということは4月からの生活はまるっきり変わるし、3年単位で生活リズムやスタイルも変わるだろう。
今では予測しないようなことも多く起きるに違いない。
そう考えたら、5年日記をつけたらどうだろう、と頭の中をアイデアがよぎった。
5年日記なら、1年前、2年前…の同じ時期にどんなことをしていたかをすぐにふりかえることができる。
書店にはさまざまな日記や手帳が置いてある。
しかし、5年となると続くかな、と心配もある。
そこまで生きているかどうかもわからないのが生き物のというものではあるが、それならそれで面白いかもしれない。
1月から日記をつけてみようかなあ、と今思案中である。