【生を考える】民主主義は不断の努力によって維持できるもの
民主主義について考える
このところのコロナ対策のあり方や国会の様子を見ていて、民主主義について考えることが増えた。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 (日本国憲法前文より)
とあり、福利は私たちが享受できるものだ。
そして、
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(日本国憲法前文より)
と締めくくられている。
つまり、この国の憲法を実現するために努力が必要であるということである。
普段から政治に関心をもつこと
今回、Twitterデモが盛り上がったり、芸能人の政治に関するツイートに関心をもったりした人が多かった。
今まで無関心だった人も、政治が何をしているのか、コロナへの対策をきっかけに見る機会が増えたのだろう。
全く関心をもたず、選挙にも行かなかった人は与党に賛成したのと同じである。
文句を言うなとはいわない。
文句を言うことは国民の役目だ。
憲法 第3章 国民の権利及び義務 には次のようにある。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
民主主義は「国民の不断の努力によ」り保持されていくものである。
だから、どんどん文句を言って、さらに良い方法がないかを常に考えていく必要がある。
努力を放棄すれば憲法を実現することも難しくなっていくだろう。
それが今の日本が直面している問題ではないだろうか。
5・18光州(クワンジュ)事件
韓国では長く軍事政権が続き、大学生を筆頭に市井の人たちが民主化に向けて運動を続けてきた。
その中でよく語られるのが1980年5月18日の光州事件である。
1980年といえば私ももう小学生になった頃である。
そのころにこんな事件があったとは初めて知ったときには衝撃だった。
東京新聞、週刊金曜日でも取り上げられたので目にした方もいるのではないだろうか。
民主化運動を大弾圧した韓国の事件である。
未だに誰が徹底的な殲滅を指示したのかわかっていない。
事件の真相はまだ闇の中である。
そして真相解明を求めて活動を続ける人たちがいる。
そして、その子どもたちの世代が、さらなる民主化を求めて運動を続けているのである。
我々はどう動くか
翻ってみたときに日本はどうだろうか。
それだけの気概はあるか。
政治に対してNOを突きつけることは決して悪いことではないのだ。
そのように思わされている人が多いとしたら、教育の負けかもしれない。
日本国憲法は小学校6年生の社会科で学習する。
中学校でも公民で学習する。
それにもかかわらず、よく理解していないことが多い。
私もその1人である。
しかし、これからでも遅くはない。
今でも時折憲法について書かれた本をめくってみたり、検索して条文を確かめたりする。
徐々に政治に対してNOをいう人が増えつつあるように感じる昨今、その気持ちが行動となって表れることを願う。