高齢者ドライバーの事故から
数日前、お年寄りによる交通事故のニュースを
扱ったブログを読みました
ここからはかなり重たい内容になりますので
影響を受けそうな方は
閉じていただくか気をつけながら読むかして
ご自分の心を守ってください
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年寄りはもう先がないんだから
という考え方には賛同できず
悶々としながら読みました
確かに痛ましい事故で
亡くなられた方や被害に遭われた方や
そのご家族の方等、関係のあった方々は
心中穏やかではないかと思われます
うちでは年寄りが交通事故で亡くなっています
相手の方はうちの亡くなった被害者より年下
だから仕方がないとは思いません
でも相手の方も気が動転しておられ
誠実に謝罪にこられて
何度も線香を上げにこられました
世の中では交通事故への厳罰化を求める声が
強くなってきています
でもそういった姿を見て
許さない、厳罰化しろとは思えませんでした
それは今回の事件と
年齢が逆だったからではないかと
そう思うでしょうか
いいえ、年齢は関係ないと思います
お年寄りが交通事故を起こしたことと
若者の命を縮めたこととを
一般化することはできないと思います
一方的に「年寄りは〜」という論調に
加害者になってしまった方への
配慮があまりにもないように感じました
それまで何の落ち度もなく
立派に生きてこられたかもしれない方が
一瞬のうちに凶状持ちのように言われてしまう
それはなんだか違うだろうと思います
確かに高齢者が自動車を運転する場合
リスクが高くなると言われています
でもそればかり強調されるのは公平ではない
そう感じています
そもそも自動車という乗り物が持つ危険性
それを社会でどのくらい考慮されているのか
それが気にかかります
経済学者の宇沢弘文はその著書
『自動車の社会的費用』で
自動車による損失は莫大であると言います
自動車が走るために道路の整備
そのための立退と
立ち退くことになる人の物理的精神的損失
自動車事故による人的被害
等々、軽々しく乗れるものではないと
よく自覚しなくてはならないと思いました
命のことでいえば
そもそも人間は年齢順に死ぬとは限りません
悲しいことですが
事故、病気、災害など様々な原因で
逆順となることもあります
そう考えれば
お年寄りなんだからけしからんと
年齢で一概にくくれないのではと思うのです
ならば車のいらない社会
最低限移動は公共交通機関でできる社会
そんな世の中になるしかないのではないか
それでもきっと事故は起こるでしょう
でも少なくすることはできるはずです
そんなことも考えたりしました