人生は不思議な縁でできている
今週のお題「人生変わった瞬間」
まずは出産の瞬間です
子どもが産まれた瞬間
この世界に人間が一人増えたのです
これは大事件でした
生まれた瞬間、世界が変わったと思いました
自分の人生も変わるとは思いませんでした
でも大きく変わってきました
次に変わったと思えるのは子どものころ
親の都合で約1年間ドイツにいました
田舎にいたので、日本人学校も補習校もなし
どっぷりドイツの生活に馴染みました
それまでの窮屈な日本の生活と全く違いました
不登園児童だった私でしたが
進んで幼稚園、学校に通いました
同時に人種差別も感じました
日本では感じなかったことでした
この体験はどちらかというとその瞬間
というより今の生活に影響を与えています
このことがなかったら
海外に目を向けることは
なかったかもしれません
縁というのは不思議です
何が起こるか
一人一人違うのですから
そこから何を学ぶか、感じるかも
きっと違うのでしょう
施設が郊外にあるのはなぜ?
特別養護老人ホームは面会に行きました
家族がお世話になっています
本当にありがたいです
施設に対して何も不服はありません
でも行くたびに気になることがあります
なぜこのような施設は
郊外にあることが多いのでしょうか
周りはぐるっと田んぼ
近くには大きな川の堤防です
デイサービスなどは街中にありますが
こういう施設ってなぜか郊外ですよね
考えてみれば
河川に近く街からは遠い
特別支援学校もそうなのです
どうも隔離するのが目的の一つのようにも
見えてしまうのが怖いです
自分にとって都合の悪いものは遠ざける
そんな意識が働いていないか
気になります
さまざまな人が一緒にいるのが当たり前の世
地域から弱者がだんだんと
フェードアウトさせられていないか
気をつけなければならないと
ふと感じるできごとでした
ランダム再生ってさ
長距離自動車で移動する機会がありました
片道1時間強くらいでしょうか
いつもはスマートフォンのプレイリストから
アルバムを選んだり自作のリストから選んだり
それなりにまとまったものを聞きます
今回は深く考えず
車に?スマートフォンに?任せて出発
そうしたらまあ、どうでしょう
なんだかどんな顔して運転したものか
わからなくなりました
一部履歴を見てみると
德永英明の後にミスターインクレディブル
しっとりとした曲のすぐ後に
スパイっぽいヒーローものっぽい曲
さらにその後レミゼラブルエンディング
からの〜テナルディエ…
瞑想用の曲
リメンバーミーのBGM
ゲーム音のファイナルファンタジーのテーマ
かと思えばまたもやレミゼのコゼット…
などのようにジェットコースター以上に
ぶっ飛んだリストです
かるーく、情緒不安定になりますね
いつも自分が聞いているものなのですが…
やはりアルバムなどの順番には
きちんと意味がありますね
ドライブ中にもやはり
精神衛生も考えてちゃんとした順序で
聞こうと決意しました
ものごとが一気に動く時
さまざまなできごとが日々起きていますが
なんだか慌ててしまうほど
たくさんのことが一気に押し寄せる時って
ありますよね
なんで?って思うほど
たくさんのことが同時進行
パニックになりそうですが
落ち着いて考えてみると
それほどでもない小さなことが
ばらばらと起きているだけ
でも処理能力を超える気がして焦ります
そんな時できるだけ
一つずつ物事にあたり
一つずつこなすというより
きたものをその場でやっつけ
その瞬間はその一事に集中
終わったら次が来るまでリラックス
そうしないとパニックになります
年末に向けて
そんな日が増えそうですね
パニックにならないように
心を落ち着けてことに当たりましょう
瞑想すると物事を整理して考えられます
たくさんのことがある時ほど
瞑想時間は長めに必要になります
こんなふうにして過ごしていきたいと思います
【レビュー】クララとお日さま
カズオ・イシグロの『クララとお日さま』
昨年出ていたのに気づかず
遅ればせながら読みました
きっかけに知りました
作品を一気読みしました
きっかけは受賞したことですが
受賞したからとか流行りだからとかではなく
世界観が好きになりました
非常に優しく、朧なイメージ
それでいて
テーマは現代より少し先に問題となるであろう
そんなことを複数絡めて作品にしている
そういった作品たちでした
当時1番印象に残ったのは
『日の名残り』でしたが
今回の『クララとお日さま』は
それを超えたかもしれない
そう思いました
1人称で語られる物語が多いですが
このお話の1人称はヒトではなく
AFと呼ばれる人工知能を持ったお友だちロボ
人工知能に関することの倫理的・技術的問題
そんなお話かな…と読み進めていくと
とんでもない方へ話は進んでいきます
人間らしさとは何か
人間の命とは何か
尊厳とは
格差とはなどなど
深く深く考えずにはいられない
そんな本でした
そして読後感は
温かい中にもすうっと寂しさがかすめていく
すばらしい読書体験となりました
またあらためてほかの作品も
読み直したい
そう思いました
高齢者ドライバーの事故から
数日前、お年寄りによる交通事故のニュースを
扱ったブログを読みました
ここからはかなり重たい内容になりますので
影響を受けそうな方は
閉じていただくか気をつけながら読むかして
ご自分の心を守ってください
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年寄りはもう先がないんだから
という考え方には賛同できず
悶々としながら読みました
確かに痛ましい事故で
亡くなられた方や被害に遭われた方や
そのご家族の方等、関係のあった方々は
心中穏やかではないかと思われます
うちでは年寄りが交通事故で亡くなっています
相手の方はうちの亡くなった被害者より年下
だから仕方がないとは思いません
でも相手の方も気が動転しておられ
誠実に謝罪にこられて
何度も線香を上げにこられました
世の中では交通事故への厳罰化を求める声が
強くなってきています
でもそういった姿を見て
許さない、厳罰化しろとは思えませんでした
それは今回の事件と
年齢が逆だったからではないかと
そう思うでしょうか
いいえ、年齢は関係ないと思います
お年寄りが交通事故を起こしたことと
若者の命を縮めたこととを
一般化することはできないと思います
一方的に「年寄りは〜」という論調に
加害者になってしまった方への
配慮があまりにもないように感じました
それまで何の落ち度もなく
立派に生きてこられたかもしれない方が
一瞬のうちに凶状持ちのように言われてしまう
それはなんだか違うだろうと思います
確かに高齢者が自動車を運転する場合
リスクが高くなると言われています
でもそればかり強調されるのは公平ではない
そう感じています
そもそも自動車という乗り物が持つ危険性
それを社会でどのくらい考慮されているのか
それが気にかかります
経済学者の宇沢弘文はその著書
『自動車の社会的費用』で
自動車による損失は莫大であると言います
自動車が走るために道路の整備
そのための立退と
立ち退くことになる人の物理的精神的損失
自動車事故による人的被害
等々、軽々しく乗れるものではないと
よく自覚しなくてはならないと思いました
命のことでいえば
そもそも人間は年齢順に死ぬとは限りません
悲しいことですが
事故、病気、災害など様々な原因で
逆順となることもあります
そう考えれば
お年寄りなんだからけしからんと
年齢で一概にくくれないのではと思うのです
ならば車のいらない社会
最低限移動は公共交通機関でできる社会
そんな世の中になるしかないのではないか
それでもきっと事故は起こるでしょう
でも少なくすることはできるはずです
そんなことも考えたりしました
行動しないとなくなっちゃう
個人商店で買い物をすることはありますか?
個人経営のレストランなどでお食事は?
私はコロナ禍が始まってから
意識して個人のお店を
利用させていただいてます
コロナでなくても商店街はシャッター街へと
変わってきていました
スーパーマーケットはとても便利です
一度にいろいろな種類のものが揃います
もちろん私もお世話になっています
でもだんだんと足が遠のいています
たくさん買うと自動車がないと運ぶのが大変
それでなくとも郊外にある場合、自動車が必要
それでは行くだけで疲れてしまうのです
広すぎる店内も苦手です
頭に雑踏の音が響くので疲れます
個人のお店はある程度
こちらの要望にも答えてくれます
ゴミを減らしたいと容器持参で豆腐を買います
パンも注文して取り置きしておいてもらいます
近所のパスタのお店は
新型コロナで自粛が始まった頃は
閑散としており、誰もいませんでした
それまでもお気に入りのお店ではありましたが
お客が多い時には音が響くのでちょっと敬遠
人がいない時間を狙って行っていました
でもお客さんがいないと
このお店は無くなってしまう
そういう危機感がありました
だからコロナで自粛期間には
ちょこちょこ食べに行きました
だんだん客足も戻って
また私の足は遠のきましたが
お店は大丈夫でしょう
こういう時はスーパーも大変だとは思いますが
個人の方を優先して利用したいと考えています