未来のコンパス

教育、環境問題についての思いや学びについて綴ります。

人生は不思議な縁でできている

今週のお題「人生変わった瞬間」

 

まずは出産の瞬間です

子どもが産まれた瞬間

この世界に人間が一人増えたのです

これは大事件でした

f:id:saho-tamura:20221126171543j:image

生まれた瞬間、世界が変わったと思いました

自分の人生も変わるとは思いませんでした

でも大きく変わってきました

 

次に変わったと思えるのは子どものころ

親の都合で約1年間ドイツにいました

田舎にいたので、日本人学校も補習校もなし

どっぷりドイツの生活に馴染みました

それまでの窮屈な日本の生活と全く違いました

f:id:saho-tamura:20221126171729j:image

不登園児童だった私でしたが

進んで幼稚園、学校に通いました

同時に人種差別も感じました

日本では感じなかったことでした

この体験はどちらかというとその瞬間

というより今の生活に影響を与えています

このことがなかったら

海外に目を向けることは

なかったかもしれません

f:id:saho-tamura:20221126171832j:image

縁というのは不思議です

何が起こるか

一人一人違うのですから

そこから何を学ぶか、感じるかも

きっと違うのでしょう

施設が郊外にあるのはなぜ?

特別養護老人ホームは面会に行きました

家族がお世話になっています

本当にありがたいです

施設に対して何も不服はありません

でも行くたびに気になることがあります

f:id:saho-tamura:20221124200120j:image

 

なぜこのような施設は

郊外にあることが多いのでしょうか

周りはぐるっと田んぼ

近くには大きな川の堤防です

デイサービスなどは街中にありますが

こういう施設ってなぜか郊外ですよね

考えてみれば

我が自治体にある特別養護老人ホーム

河川に近く街からは遠い

f:id:saho-tamura:20221124200455j:image

特別支援学校もそうなのです

どうも隔離するのが目的の一つのようにも

見えてしまうのが怖いです

自分にとって都合の悪いものは遠ざける

そんな意識が働いていないか

気になります

f:id:saho-tamura:20221124200337j:image

さまざまな人が一緒にいるのが当たり前の世

地域から弱者がだんだんと

フェードアウトさせられていないか

気をつけなければならないと

ふと感じるできごとでした

ランダム再生ってさ

長距離自動車で移動する機会がありました

片道1時間強くらいでしょうか

いつもはスマートフォンのプレイリストから

アルバムを選んだり自作のリストから選んだり

それなりにまとまったものを聞きます

f:id:saho-tamura:20221124194525j:image

今回は深く考えず

車に?スマートフォンに?任せて出発

そうしたらまあ、どうでしょう

なんだかどんな顔して運転したものか

わからなくなりました

一部履歴を見てみると

f:id:saho-tamura:20221124193626j:image

德永英明の後にミスターインクレディブル

しっとりとした曲のすぐ後に

スパイっぽいヒーローものっぽい曲

さらにその後レミゼラブルエンディング

からの〜テナルディエ…

瞑想用の曲

リメンバーミーのBGM

ゲーム音のファイナルファンタジーのテーマ

かと思えばまたもやレミゼのコゼット…

 

などのようにジェットコースター以上に

ぶっ飛んだリストです

かるーく、情緒不安定になりますね

いつも自分が聞いているものなのですが…

f:id:saho-tamura:20221124194720j:image

やはりアルバムなどの順番には

きちんと意味がありますね

ドライブ中にもやはり

精神衛生も考えてちゃんとした順序で

聞こうと決意しました

 

ものごとが一気に動く時

さまざまなできごとが日々起きていますが

なんだか慌ててしまうほど

たくさんのことが一気に押し寄せる時って

ありますよね

f:id:saho-tamura:20221123204442j:image

なんで?って思うほど

たくさんのことが同時進行

パニックになりそうですが

落ち着いて考えてみると

それほどでもない小さなことが

ばらばらと起きているだけ

でも処理能力を超える気がして焦ります

f:id:saho-tamura:20221123204550j:image

そんな時できるだけ

一つずつ物事にあたり

一つずつこなすというより

きたものをその場でやっつけ

その瞬間はその一事に集中

終わったら次が来るまでリラックス

そうしないとパニックになります

f:id:saho-tamura:20221123204728j:image

年末に向けて

そんな日が増えそうですね

パニックにならないように

心を落ち着けてことに当たりましょう

瞑想すると物事を整理して考えられます

f:id:saho-tamura:20221123204910j:image

たくさんのことがある時ほど

瞑想時間は長めに必要になります

こんなふうにして過ごしていきたいと思います

【レビュー】クララとお日さま

カズオ・イシグロの『クララとお日さま』

昨年出ていたのに気づかず

遅ればせながら読みました

f:id:saho-tamura:20221122085642j:image

カズオ・イシグロノーベル賞受賞を

きっかけに知りました

作品を一気読みしました

 

きっかけは受賞したことですが

受賞したからとか流行りだからとかではなく

世界観が好きになりました

非常に優しく、朧なイメージ

それでいて

テーマは現代より少し先に問題となるであろう

そんなことを複数絡めて作品にしている

そういった作品たちでした

f:id:saho-tamura:20221122085828j:image

当時1番印象に残ったのは

日の名残り』でしたが

今回の『クララとお日さま』は

それを超えたかもしれない

そう思いました

f:id:saho-tamura:20221122085951j:image

1人称で語られる物語が多いですが

このお話の1人称はヒトではなく

AFと呼ばれる人工知能を持ったお友だちロボ

人工知能に関することの倫理的・技術的問題

そんなお話かな…と読み進めていくと

とんでもない方へ話は進んでいきます

人間らしさとは何か

人間の命とは何か

尊厳とは

格差とはなどなど

深く深く考えずにはいられない

そんな本でした

f:id:saho-tamura:20221122085758j:image

そして読後感は

温かい中にもすうっと寂しさがかすめていく

すばらしい読書体験となりました

またあらためてほかの作品も

読み直したい

そう思いました

高齢者ドライバーの事故から

数日前、お年寄りによる交通事故のニュースを

扱ったブログを読みました

f:id:saho-tamura:20221122083414j:image

 

ここからはかなり重たい内容になりますので

影響を受けそうな方は

閉じていただくか気をつけながら読むかして

ご自分の心を守ってください

f:id:saho-tamura:20221122083453j:image

年寄りはもう先がないんだから

という考え方には賛同できず

悶々としながら読みました

確かに痛ましい事故で

亡くなられた方や被害に遭われた方や

そのご家族の方等、関係のあった方々は

心中穏やかではないかと思われます

 

うちでは年寄りが交通事故で亡くなっています

相手の方はうちの亡くなった被害者より年下

だから仕方がないとは思いません

でも相手の方も気が動転しておられ

誠実に謝罪にこられて

何度も線香を上げにこられました

世の中では交通事故への厳罰化を求める声が

強くなってきています

でもそういった姿を見て

許さない、厳罰化しろとは思えませんでした

f:id:saho-tamura:20221122083634j:image

それは今回の事件と

年齢が逆だったからではないかと

そう思うでしょうか

いいえ、年齢は関係ないと思います

 

お年寄りが交通事故を起こしたことと

若者の命を縮めたこととを

一般化することはできないと思います

一方的に「年寄りは〜」という論調に

加害者になってしまった方への

配慮があまりにもないように感じました

それまで何の落ち度もなく

立派に生きてこられたかもしれない方が

一瞬のうちに凶状持ちのように言われてしまう

それはなんだか違うだろうと思います

f:id:saho-tamura:20221122083820j:image

確かに高齢者が自動車を運転する場合

リスクが高くなると言われています

でもそればかり強調されるのは公平ではない

そう感じています

そもそも自動車という乗り物が持つ危険性

それを社会でどのくらい考慮されているのか

それが気にかかります

経済学者の宇沢弘文はその著書

『自動車の社会的費用』で

自動車による損失は莫大であると言います

自動車が走るために道路の整備

そのための立退と

立ち退くことになる人の物理的精神的損失

排気ガスや粉塵による健康被害や環境汚染

自動車事故による人的被害

等々、軽々しく乗れるものではないと

よく自覚しなくてはならないと思いました

f:id:saho-tamura:20221122083910j:image

命のことでいえば

そもそも人間は年齢順に死ぬとは限りません

悲しいことですが

事故、病気、災害など様々な原因で

逆順となることもあります

そう考えれば

お年寄りなんだからけしからんと

年齢で一概にくくれないのではと思うのです

f:id:saho-tamura:20221122084014j:image

ならば車のいらない社会

最低限移動は公共交通機関でできる社会

そんな世の中になるしかないのではないか

それでもきっと事故は起こるでしょう

でも少なくすることはできるはずです

そんなことも考えたりしました

行動しないとなくなっちゃう

個人商店で買い物をすることはありますか?

個人経営のレストランなどでお食事は?

私はコロナ禍が始まってから

意識して個人のお店を

利用させていただいてます

f:id:saho-tamura:20221121081412j:image

コロナでなくても商店街はシャッター街へと

変わってきていました

スーパーマーケットはとても便利です

一度にいろいろな種類のものが揃います

もちろん私もお世話になっています

でもだんだんと足が遠のいています

たくさん買うと自動車がないと運ぶのが大変

それでなくとも郊外にある場合、自動車が必要

それでは行くだけで疲れてしまうのです

f:id:saho-tamura:20221121081509j:image

広すぎる店内も苦手です

頭に雑踏の音が響くので疲れます

個人のお店はある程度

こちらの要望にも答えてくれます

ゴミを減らしたいと容器持参で豆腐を買います

パンも注文して取り置きしておいてもらいます

 

近所のパスタのお店は

新型コロナで自粛が始まった頃は

閑散としており、誰もいませんでした

それまでもお気に入りのお店ではありましたが

お客が多い時には音が響くのでちょっと敬遠

f:id:saho-tamura:20221121082104j:image

人がいない時間を狙って行っていました

でもお客さんがいないと

このお店は無くなってしまう

そういう危機感がありました

だからコロナで自粛期間には

ちょこちょこ食べに行きました

だんだん客足も戻って

また私の足は遠のきましたが

お店は大丈夫でしょう

f:id:saho-tamura:20221121082610j:image

こういう時はスーパーも大変だとは思いますが

個人の方を優先して利用したいと考えています