やらないと忘れます
久しぶりに歌に挑戦
stand.fmを始めました。
そこでフォローしているラジオドラマチャンネルがあります。
そこで、『レ・ミゼラブル』の「民衆の歌」を歌う人の募集がありました。
内容はオリジナルのドラマなので、どのように使われるかわかりません。
でも、好きな歌でもあるので、思い切って応募しました。
さっそく音源も送られてきて、YouTubeでお手本も見て軽く練習。
そのあと一度、録音してみて、歌い方を忘れていることに気がつきました。
歌い方のコツ
歌い方のコツは小学校でも教えていたので、ある程度は知っているつもりです。
しかし、やってみるとできない、忘れていて後から思い出す、の反省ばかりでした。
- 腹式呼吸
- 高音は鼻から抜けて頭のてっぺんから引き出すように
- 語頭をはっきり
などなど
自分も教え、子どもの頃学校で合唱を丁寧に指導してもらったことがありました。
そのおかげで、知っている、と思っていました。
ところが、いざ歌い出すと忘れてしまうのです。
やらないことは忘れる
やっぱり、やらないことは忘れてしまうものだと思いました。
地道に続ける大切さがよくわかりました。
いろいろなことを少しずつやっていきいましょう!
楽しむことの強み
ラグビー日本代表戦から
2021年6月12日(土)、1年と8ヶ月ぶりにラグビー日本代表の試合がありました。
海外勢との戦いを控え、国内メンバーで再編成されたサンウルブズ。
サンウルブズはまだ招集から、1週間しか間がありませんでした。
しかし、わたしはメンバーの様子から、サンウルブズに期待をしていました。
フレッシュなメンバーが集まった、国内チームでした。
まだ日本代表に入る条件をクリアしていないメンバーも入っていました。
いわば、日本代表A対日本代表Bといったところでしょうか。
当日の選手たちの表情を見ました。
学び、練習することを楽しんでいることがサンウルブズの表情にありました。
チャレンジャーで、その日1日限定のチームですから、気持ちも明るいのでしょう。
対する代表は、勝たなければならないプレッシャーから硬い表情になっていました。
楽しむ教育的意義
日本代表が勝ったとは言え、サンウルブズの健闘の光った試合になりました。
ここからわかることは、楽しんでトライする方がのびのびとできるということです。
自分の力を発揮するには、自由に試せる環境が必要だということです。
教育でも同じです。
失敗をおそれると、学習は縮こまり進まなくなります。
失敗をおそれずにできる環境を整えてあげること。
これは教育環境整備の一つです。
失敗を責めることなく、無理にすぐ反省させるのでもなく、試行錯誤させる。
これが子どもたちの成長に大きく影響を与えることは、よくわかると思います。
間違えたら大人がほめる
子どもたちは失敗を怖がります。
教室で指されたとき間違えたり答えられなかったりすることを怖がっているようです。
しかし、子どもが間違えたときには、学習が深まるチャンスです。
子どもが間違えたときには「ナイス間違い!」とほめて欲しいと思います。
間違いをほめることで間違ってもいいんだということを知らせます。
そうするとさまざまな意見が飛び交うようになります。
学校の先生だけではなく、御家庭でも試してみてください。
間違えながら、楽しく学習できると良いですね。
大人ももちろん同様です。
間違ってもいい。
そう思ったら、もっといろいろなことにトライできると思いませんか。
プラスチックフリージュライ
もう6月も半ば
あっという間に今年も半年が過ぎようとしています。
皆様体調はいかがでしょうか。
わたしは今年は大きく体調を崩すこともなく過ごしています。
疲れたりあまり調子の良くないときには、ゆるゆると昼寝や朝寝を交えております。
昨年の7月は
振り返ってみると、昨年7月は初めて「プラスチックフリージュライ」を知りました。
そこで取り組んだのが、お弁当箱からプラスチックを減らすことでした。
プラスチックフリージュライの公式のホームページへは以下のリンクからとべます。
さまざまな人の取り組みや、こんなことができますよ、ということがでています。
オーストラリアからの発信ですので、英語のサイトです。
わたしのように英語苦手な方はパソコンでGoogleで自動翻訳してもらうのがおすすめ。
今年はなににしようかな
今年はお弁当を持っていく子が変わり、もっていく量も増えました。
昨年の倍の量です。
仕切りをレタス等でするだけではちょっと衛生面で心配な量です。
今年は今のところアルミホイルを小さく切って、しきりに使ってます。
シリコンのものあると聞きますが、ちょっと大変そう。
おにぎりの量も半端ではないので、アルミホイルの使用量は上がってしまっています。
でも健康にはかえられないので、ここは動かせないかな…。
ということはほかのところでプラスチックを減らすようにするしかないですね。
冷凍食品の使用量は昨年の取り組みを通して、総菜のものはほとんどなくなりました。
作り置きのもので、弁当はまかなえるようになっていますので、ここは死守。
あとはなにができるか、考えるのも楽しみです。
17音の広い世界
今週のお題「575」
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想像力と共感
俳句、短歌を学ぶのは小学生の時です。
それでも、正直言って難しいのが現状です。
なぜなら、小学生には経験が圧倒的に足りないからです。
学習してその仕組みと、教科書などで扱う俳句や短歌の意味を知ることはできます。
しかし、そこで味わう内容に共感する、想像して楽しむ、のは難しいことです。
特に俳句では17音という限られた文字数での表現です。
感情表現をそぎ落としつつ、想像させることで共感させるものです。
「ああ、こんなことあるよね」「懐かしいな」といったことを思いおこす楽しみです。
それが俳句です。
俳句作りは語彙力勝負
俳句を作るには感性が大事です。
こんなことを表現したいと思うところから始まるのです。
しかし、その俳句作りに最も大事だとわたしが思うのは、語彙力です。
何度も重ねて書きますが、俳句は17音しかありません。
自分の書きたいと思う情景を、過不足なく入れ込みます。
それには、ちょうど当てはまる語彙がなくては陳腐なものにしかなりません。
それも、文字数あわせだけではなく、自分の心情にぴったりとする言葉を選ぶのです。
語彙のストックがなければ同じ言葉の乱用になり、内容は薄っぺらくなっていきます。
国語教育の充実
小学校でも句作が、さかんに行われています。
やってみたい子には良いチャンスです。
しかし、「あ、これ、表現したい!」と思った瞬間に良い句ができます。
宿題にしたり、授業中に作らなくてはいけなかったりするとやっつけの句ができます。
それは子どもにとっても納得できないでしょうし、良い句にならないと思います。
もちろん経験として作る授業はやっても良いと思います。
強制はせず、ましてや教員が添削や評価をするのではなく、句会形式がおすすめです。
誰が作ったかわからない句に子ども同士が、批評をしあって点を入れていく。
最後に誰の句だったかを明かす瞬間の意外性もまた楽しいものです。
そんな楽しい言葉の世界の遊びを、授業で取り入れてあげて欲しいと思います。
その教育法、大丈夫?
素手でトイレ磨く
一時期はやった、「素手でのトイレ磨き」。
PTAが取り組んだり、教員が研修でやったりニュースになったこともありました。
子どもにやらせる取り組みも報道されました。
それに関しては、感染症の危険もあると言うことで、かなり批判が出たと思います。
さて、この素手でトイレを磨くようなおかしな動きが出てきたのはなぜなのでしょう。
報道ベースでは、
- 会社の創業者や社長が率先して行っていた
- 社員も行うようになった
- 新入社員の教育として
などが、流れのはじめかと思いました。
しかし、下の本を読んで納得しました。
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この流れを作ったものを知る
この流れを作ったと思われるものについて書かれている箇所がありました。
「日本を美しくする会」という団体が関わっているようです。
ご存じでしたか。
わたしは知りませんでした。
そして、今でも一部でもてはやされている「親学」。
親学については聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。
内容を見ていくと違和感を感じる方もいるのではないかと思います。
しかし、トイレ磨きも親学もなぜか熱烈なファンがいます。
どちらにも共通することは「日本会議」系の団体であるということです。
「日本会議」については海外では、カルトだと言われているようです。
日本会議についてはさまざまな本が出ていますので、読んでみるとよいかと思います。
黙食・黙掃の気持ち悪さ
学校では、マニュアル化が流行っていると言うことを以前に書きました。
画一化、黙食、黙掃もはやっています。
これも大丈夫なのでしょうか。
黙って、整然と、一見美しいかもしれませんが、全体主義的な印象を受けます。
「心を磨く」という抽象的でエモーショナルな言葉にのせられている気がします。
教員には短期的な教育効果ばかりに気を取られることなく、実践して欲しいです。
実際は教員は自己評価をしなくてはならなくなりました。
そのため、短期に成果を求められがちになりました。
それが問題だと思います。
それでも、教員は子どもに直接接し、その生活に責任をもっています。
よくその指導法の元を確認して、ご自分の指導法を選んでいただきたいと思います。
大学入試改革問題はまだ終わらない
まだ動いている入試改革
皆さんも、共通テスト型問題を生徒に解かせた後、「正解に納得いかないのがあれば後で言いにくるように」と言ってみて下さい。すると「この問題には正解がない」と言ってくる生徒がいます。そして話を聞くと生徒の言い分は間違っているのですが、設問が中途半端に現実世界と結びつけられているせいで→ https://t.co/y4CyVj2jDH
— 萩生 九 (@pseudoorthodox) 2021年6月10日
このtweetは元をたどると、以下の記事にたどり着きます。
今年度の入試は形ばかり変わった、「大学入学共通テスト」が行われました。
入試問題は、記事の中で指摘されているように、「形ばかり対話」になっています。
これは、対話なのでしょうか。
会話にすぎないように思えるものだったように感じました。
対話と会話
学習指導要領の改訂で、「主体的・対話的で深い学び」が入りました 。
対話と会話の違いは何でしょうか。
岩波の国語事典第六版には次のようにでています。
【会話】向かい合って話し合うこと。また、その話のやりとり。
【対話】向かい合って話すこと。また、その話。
違いはよくわかりません。
しかし、違うことだと感じている方も多いのではないでしょうか。
有名な「ソクラテスの対話法」が違いのヒントになるのではないでしょうか。
ソクラテスの対話法
ソクラテスは古代ギリシャアテネの哲人で、街で人をつかまえては議論をしました。
分かっていると思っていることでも深くは理解していないことを自覚させました。
ソクラテスについては岩波文庫などから「ソクラテスの弁明」「饗宴」があります。
著者は弟子のプラトンです。
ソクラテス自身は対話を重視し、書いたものは残さなかったからです。
そこから会話のようなやりとりをするのが対話ではないことが見えてきます。
自分の言っていることの矛盾に気がつき、問題を深く抉ることが必要です。
それが対話だとすると、入試問題の会話文は一体何なのでしょうか。
英語の民間試験と学習指導要領
経済格差に影響されると問題になった、英語の民間試験の利用も生きています。
試験の性質が違う上、試験相互のレベルのすりあわせも難しいとされています。
それにもかかわらず、なぜ問題の多い民間試験活用案がまだ残っているのでしょうか。
2021年度は阻止しましたが、まだ2025年度に向けて、画策が続いています。
なぜ、2025年度なのでしょうか。
2022年度に高校の新学習指導要領が始まります。
この学習指導要領は特に国語の改悪が問題視されています。
そこで育った子どもたちの初めて受験する年が2025年度入試です。
国語の学習指導要領改悪についてはまた後日書きたいと思います。
まだまだ、大学入試改革は続いています。
注視し続けること、そしておかしなことには声をあげることがこれからも必要です。
高校ラグビーで振りかえる教育の楽しみ
フレーベルの言葉から
先日書いた、フレーベルの教育観。
その中で書くことができなかった言葉があります。
それは有名な一説です。
「子どもたちに生きよう」
ん?何か日本語が変でしょうか。
そうです、原典のドイツ語でも変なのです。
これにはいろいろな解釈がされています。
キリスト教的世界観から、子どもの中には神が意図が込めらた全き存在としています。
つまり、子どもが一番神に近い存在であるとしていました。
我々は日々を過ごしているうちに世俗に汚れていっているという考えです。
ですから、子どもたちと一緒に過ごすことでわたしたちが生き直せると考えたのです。
「教員は子どもたちから学ぶものでなくてはならない。」
前にこのようなことを書きました。
それは子どもの中の神性を認めるところからきています。
高校ラグビーを見て
昨日高校ラグビーの観戦をしました。
高校生からラグビーを始める子もおり、成長していくのが感じられます。
試合の中で、子どもたちが考え、動いている熱量を感じることもできます。
試合中も成長中なのです。
教育の醍醐味はやはりここにあります。
- 子どもたちと普段過ごしてきた中で、成長を感じる。
- 一緒に探求してきたことを自分たちで出していく様子を見ることができる。
- 活動している中で、自分たちで考えて工夫している様子を見守る。
これを感じると教育の仕事は本当に楽しく、尊いものだと思います。
さらに自分自身それで教えられることも本当に多いのです。
教員の仕事
教員の仕事は本当に楽しいものです。
こういった楽しみを得て、しかも自分も成長できます。
やりがいを感じている方がほとんどです。
しかしながら、体を壊すほど働いてはその楽しみが苦痛に変わってしまいます。
そうならないように教育行政は早急な環境整備をして欲しいと思います。
本来の楽しい教育を実現して欲しいと考えています。